どうして私を虐めるの?

フラッシュバックしてくる学校でいじめられた記憶を1つ1つ吐き出していきます。

学校へ送った手紙

一時期ブログ村のいじめカテゴリで3位でした。
ありがとうございます。

これは凄いことなのかわかりませんが、それでも読んで下さる方がいることがわかって救いになっています。

あまり「いじめ」が主体の話ができていないのと、
私の自己開示による昇華を求めて

学校に通っていた時の学校への手紙をここに公開します
先生や誰か一人に虐められていたと言うより学校にいじめられていました
具体的な話はもちろん省いていて、結局本筋はわかりませんが本筋をネットに書くと問題になるので許してください。




私を熱した鍋に閉じ込めて深い孤独と混沌とした感情に煮込んだようだ。
私が四肢を剥ぎ取られ悲鳴を浴びても、更に鍋の中から決して〇〇先生は外に出そうとは思わない。


私の心は〇〇先生に殺されました。
四肢を切断されて、私の言葉を遮り、教室のみんなから心理的に孤独にする事で、私から笑顔と、口を奪いました。
私が今こうして生きているのは私が私を幼少の時に愛して下さった大人達、学校の先生、親、ふいにその時たまたま出会い、「貴女はそのままのあるがままの貴女が素敵であり、貴女と私が出会えた事も、奇跡であり、一瞬一瞬が奇跡の連続でできた美しいものなんだ。涙は美しいものなんだ。怒りは美しいものなんだ。」と教えて下さった人達が私を殺戮の道ではなく、背筋を伸ばす事を教えてくれたので、その方達に恥ない生き方をしたい。

私は怒りの炎が実体化して、私の怒りが膨らみ、怒りの炎となって〇〇先生を包み、歯を1本1本〇〇先生が痛んでいると確かめながら抜き、爪も同じく一枚一枚確かめながら剥いで、私の化身が気がすむまで〇〇先生の胴体を刺して内蔵を取り出した後に火で炙り頭蓋骨をとんかちで粉砕して灰になるまで丹念に時間をかけて粉にし、海に粉を投げて〇〇先生の歪んだ思考、私を痛ぶり孤独にした原因である何らかの思想や概念を穏やかにする。
私はそんな自分を深く愛して、子孫や私を愛し、育てて下さった人達に誇りを持って生きて行くだろう。

私はいったい元の笑顔の自分に戻れるのは何年先だろう?すぐに戻れないだろうか?何十年も先だろうか?
自分に問いかけることが多くなりました。
今、私は自分の顔を自分のものだと思えません。
どんな服を着ても自分として違和感を感じます。
自分の身振り手振りも他人のようです。

元の私を返して下さい。
私は卒業までに、人に対して、誠実である事に喜びを感じる方と出会えるのだろうか?
私は出会いたい。
電話でお話をすると、校長先生、〇〇先生、〇〇さんは、〇〇先生は私の話を部分的に都合の悪いところは認識しないで話しますね。
その時、その時で私の前でその場その場の都合の良い人格を形成して話しますね。
ですから私と話が噛み合わないのです。

都合の悪い部分を部分的に認識しない生き方をする大人の背中を見て育つ子供は、
都合の悪い部分を部分的に認識しない生き方を学ぶだろう。
本心を隠して生きる生き方をする大人の背中を見て育つ子供は本心を隠して生き方を学ぶだろう。
おかしいところを見なかった事にして、自分の立場を守る生き方をする大人の背中を見て育つ子供はおかしいところを見なかった事にして、自分の立場を守る生き方を学ぶだろう。

あなた方はそんな子供だったのだろう。
そんな子供が日本を支え、過労自殺を蔓延させる時代を作っているのだろう。
私は今までの人生、職場でも、学生時代も、自分の損得、関係なく、ありのままの心で家族ぐるみで私と関わろうとしてきた人ばかりであった。
思えば全く苦労もしないで生きてきてしまいました。

何故、それが正当化されるのでしょうか?多感な生き方を学んでいる時期の高校生にも教える、という仕事をしている以上、生徒の人生を預かる責任を取りましょうよ。愛のある生き方をしましょうよ。愛のある方へいきましょうよ。愛のある方へ。多感な生き方を学ぶ世代に自分の人格の断片的でなく、偽りの自分でなく、あるがままの心で自分すべての丸ごとと、相手の丸ごとと関わりましょうよ。そんな生き方を知らないのですか?幼少の頃に母や自分と関わってきた大人から教わる事がなかったのですか?)

私が電話できる時間を伝えても、結局、あなた方はご自身の都合の良い時間でしか、電話できないのでしたら、書面に、あなたのあるがままのありのままの心を裸にした、あなたの心を描いてみたらいかがでしょうか?



私は人間は、知識を多くもっている事が優れているのではなく、偉い役職についている事が優れているのではなく、多くの生命と心と心で繋がる仲間を作れる人間が優れているのです。
多くの生命とは、価値観が似ている同世代や同じ趣味、考え方、立場が同じ人の他に老人、幼子、価値観が違う人、立場が違う人間の他に、犬や魚もこの世に生きる生きとし生けるもの全て含みます。
知識、役職、年収は人間の飾りでしかないのです。
それが現実なのです。
知識、役職、年収は国や学校などそのコミニティの中でしか通用しないのです。
生命の心と心で繋がる仲間を作る力はどのコミニティでも必要な力であり、それは人生の苦しみの中で培う力です。
どのような人間の生命も、心と心で繋がり合い分かち合う使命をおびて生きているのです。だから人と繋がっていないと苦しいのです。

他人宛てのメールを開けて人の気持ちを知り、信用を失い人を傷つけ、それを気にしないで生きる事は簡単です。
人と心と心で繋がり仲間を作れる人間には、たくさんの人間が自分から心を開き、多くの気持ちを知り、信頼、太い絆を育む事ができるだろう。
そのような人間は孤独ではないのです。
そのような人間は、機械に真似できない、人間として高い能力を持っています。


私は、今までの学生時代、幸せにも心と心を繋げ合い、分かち合える人とばかり出会う事ができるので、人間の身体の内面の働きを見る事ができます。

赤子は何故可愛いか?
それは人に愛されるためですが、
三つ子の魂百までと言う言葉をご存じですか?
3歳までにどのような大人と関わったか、どのような育ちをしたかでどのような人格になるか、どのような人生になるか決まるという考え方を聞いた事があります。
あなた方は人を傷つける事ができる人間が幸せになれるんだよ、と言う大人の背中を見て育ったのですか?
親の顔が見てみたい。と言う言葉がありますね。
命の危機を脅かされるようなところで育った人は、どんなに説明しても、人を裏切ってはいけない、盗んではいけない、嘘をついてはいけない。人と心と心を通わせる事でからだ丸ごとで幸せを体感できる事を伝えても理解してもらえないそうです。


私が〇〇先生のパワーハラスメントで、自室の物を全て捨ててしまい、親戚や友人に怒鳴り散らしてしまった事はご存じですか?
私を忌み嫌うようになった人もいます。
あなたがたは、「私が個人的にした事」とおっしゃって、私とは3月から関係がなくなると、他人事と思うかもしれませんが、私は〇〇先生に出会わなければ、出会わなければ、と言う思いを一生背負って生きて行かなければなりません。
「私に大切な人との繋がりを返して下さい」
「私に大切な人を返して下さい。」

今まで、部分的に都合が悪いところは返事をしていなかったけど、返事をする気になったから、次から電話か、直接話しをする時にはちゃんと話そうと、子供じみた自分の都合しか考えないのではなく、相手と、心と心で会話をして下さい。

〇〇先生に
「もっと生産性のある事に専念した方がよっぽど身のためだと思いますけどね。」と言われた。

私が人生の中で何度か読み返した、アメリカインディアンの教えの引用です。

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます

以上です。

繰り返しますが、
あなたがたは、
幼少の頃、ありのままのあなたの涙、あなたの怒り、あなたの笑い声を受け入れて、もらえずに、自分の心に嘘をつき、大人の都合の良い子供を演じてきたのですか?
もう1人の自分が必要だったのですか?
自分の中から溢れ出る、
涙は美しいものなんだ、
怒りは美しいものなんだ
笑顔は美しいものなんだ
あるがままのありのままの自分を肯定された事はないのですか?
誰しも2面性はあるものですが、真の自分が愛された事はないのですか?




この手紙を校長先生は口頭で「手紙を読んだよ。質問に答えるよ。」と言ってまた部分的で事務的な答えしか返してもらえませんてました。
いじめは認知しているか?
の問に「知らない」と答えられました。

卒業式で
1番戦ってきた先生から謝罪がありましたが、

私はここまで話をねじ曲げた校長先生を許しません。
許さないと背負いました。
これは私の人生の使命なのです。


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